ジェヴォーダンの狼王、補追

歴史に残る動物たち (シートン動物記 5)
 シートン先生の『ジェイボウダーンの鬼オオカミ』では、討伐隊の巻狩りの成果で一七六五年九月二十日に鬼畜王を仕留めたことになってますが、実際には、その後もラ=ベートの仕業と思しき被害はしばらく後を絶たなかったといいます。
 この一件に関してはフランス国内にも現在進行形で有象無象の研究者があり、ある歴史学者「オオカミないし大型のイヌ科もしくはネコ科の生物、あるいは、それらいずれかの亜種ないし混種による仕業だろう」と主張し、ある生物学者「この世のどんな野生動物にも、こんな仕業はなしえない。オオカミの毛皮を被った人間による連続猟奇殺人だ」と主張しています。確かに、たった一頭(ないし二頭)の野生動物が二年から三年という短期間に百人もの人間を喰い殺しておきながら一切の追跡を受けずに逃げおおせるという事態は考えにくく、といって急にフランス国内の多数のオオカミたちが同時多発的に人間を襲い出すというのも現実的ではない。生物学者の説について言えば、実際に「自分が自分以外のものである」と思い込んでしまう精神疾患というのも確認されていて、その中には「自分はオオカミだ!」と思い込んでしまう例も複数あり、そうした妄執が悲劇を招くことも往々にしてあるわけですが……さて、では結局ジェヴォーダンの獣の正体とは何だったのでしょうか。

 答え:そんなもん誰にも分からん。

 諸説紛々で飛び交いまくりなので、もうどれを信じていいものやら見当もつかない事態になっており、そんなわけで私はどれも信じないことにしました。で、お話として面白そうなシートン先生の説を支持すると。もちろん心から信じているわけではないけどね。ただ面白いのは、状況からいって当時、フランス国内で人食いをしそうな動物といえばオオカミかクマくらいのものだったのに、ほとんどの目撃者は「あれはオオカミなんかじゃない、ましてやクマとも違う、もっと別の何かだ」と証言してること。これは生物学者のいう「気の触れた人間がオオカミの毛皮で仕立てた着ぐるみを被って殺しまくった」説にも通じると思うんだけど……この説のことを考えるたび私は、エルロイの『ビッグ・ノーウェア』を想起せずにはいられんのですよ。ネタバレになるので詳しくは触れないけど、哀れな境遇に生まれ落ちた哀れな男が、数奇な宿命に導かれるままオオカミという禍々しく美しい危険な生きものに魅了され、醜く汚らわしい自分を殺して、それと一つになろうとした。この世のどんな絶望も追いつかない切なく悲痛な渇きの中で、狂った妄執で世界を飾り立てることでしか自己実現を果たせなかった、人間でもオオカミでもないもの……そんな「人狼」の正体を夢想するだに、私の心には寒々しく安っぽいウルヴリン・ブルースが聞こえてくるわけです。 


 自分あるいは他人の死の他の何ものにも救えない罪。
 逃げ場のない荒れ果てた心に一筋の希望をもたらした麻薬のような妄執。
 悪魔の正体―――たったひとりの、ちっぽけな、つまらない人間。


 そんなジェヴォーダンの獣が、もしかしたらいたのかも知れない。まちがってもロマンチックとは言えないだろうけれど、こんなふうに思いを馳せてやる者が、自分と他にあと何人かくらいはいてもいいんじゃないのかなとも思うのです。
ビッグ・ノーウェア 上 (文春文庫)ビッグ・ノーウェア 下 (文春文庫)


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 追記。ちなみに《獣》の目撃証言の中で取り上げられやすいものの一つに「背中に一本の縞が走り、脇腹には黒と焦げ茶の斑点があった」という十四歳の少年の発言があるそうなんだけれども、これを根拠に獣の正体を何らかの人為的な交配あるいは特殊な訓練などによって大型化されたハイエナではないかとする説もあってですね、これを知った私は当初「んなわけねーだろ、バカ言ってんじゃねーよ」と思ったものでした。しかし……
http://d.hatena.ne.jp/walkeri/20050523#p1
 この記事を読む限り、可能性として非常に興味深いと言わざるを得ませんな。