戦鬼雷迎尊儀図

高下駄はいてもこの身長差

http://johnnie.blog.ocn.ne.jp/2009/oni_kabe.gif
 こんなサイズで描くことは滅多にないので、せっかくだから1280*1024で壁紙化してみました。↑URLクリックで原寸画像表示。フルカラー版はこちら。描いた後で気づいたけど、これガンダムカラーだよね。


 ……ところで、わたし思うんですけど、バッファローとかオオカミとかトラとかオオワシとか、いわゆる強く雄々しく誇り高いケモノが絶滅に瀕したり、あるいは現実に絶滅してしまうような事態に至って、われわれ人間は勝手に彼らの境遇や生き様に感情移入して多分に感傷的な物語を想像してしまうわけですが、それってどうなんでしょうね。
 たとえば絶滅寸前のオオカミが、彼ら自身の境遇に想いを馳せて嘆き儚んだり悲愁に満ちた詩を吟じたりするかというと、実際的にそんなことはまったくなくて、けっこう普通に「あーちくしょー食い物ねー」「なんか住みづれー世の中になってきたなー」程度に淡々と暮らして、それこそ、かつて豊かだった時代のオオカミたちと取り立てて何も変わることなく淡々と死んでいくだけなんじゃないかなと思うんですよ。それが彼らの強さであり魅力でもあるわけで、横からゴチャゴチャと《人間的な》泣ける物語を付加されても、勿論それを物語として楽しめる自分がいる一方で、なんだかなあ、と感じてしまう醒めた私もいるのです。だってオオカミはオオカミで、人間とは違うんだもの。
 幻想郷の鬼たちも彼らと同様に失われた(失われつつある)種族なんですが、だからといってウジウジと後ろ向きになって悲嘆に暮れたりはせず、まあ何とかなるだろ、ならなきゃならないで別に構わん、みたいな飄々としたしたたかさがあって、そこがとてもカラッとしてて、かつまた人と鬼との間の隔たりや擦れ違いが切なくて、すごく好きです。彼らの境遇を思えば我々は身につまされて儚みを覚えるのでしょうが、本人たちにとっては「べつにそんな大げさな話じゃないよ」くらいにしか感じてないというか、そうした根本的なメンタリティの強さの違いが実に妖怪らしいし、それでこそ鬼だ、と思うのです。
 萃香さんも勇儀さんも、いつまでもお酒呑んで愉快に暮らしていて頂きたいものです。